川を下って思うこと

川下りは気持ちいい。ボーっと空や鳥を眺め、遠くの雪山を眺めながらだらだら流されていく。景色も流れる。

遠くからグォーっとかザーザーっていう音が近づいてくるとおもうと、前が見えなくなるような瀬や大きな岩が目の前に迫ることもある。そんなときは多分自分の顔が引きつっているだろう。無事に通りすぎ、瀞場でたった今超えてきた瀬を振り返って見てほっとする。

そんな開放感と緊張感の繰り返しがたまらないのだろうし、そういう川が一番面白いのだろう。

雨が降り、野や山の小さな水の流れが道無き道を進んでいく。いくつかの流れが合わさって、やがて川となる。
川を幾度か下るようになると、流れる水の下にある地形そのものを感じてくる。地面の盛り上がりや傾きそしてどんな隠れ岩があるか想像する。川全体の曲がり具合や広がりが水の行き先と速さを決める。川幅が狭くなって水が集まり流れが遅くなったり、その後幅が広くなるところで流れが早くなる。水が減ると川原が現れ、増えると川原が川となる。

単純なことなのにこんなことが新鮮に感じてしまう。
サーフィンをしていて風向きや地形によって波の崩れ方が変わるのも似たような感じかもしれない。

川に沿って電車や車が走っていくのを見て、あれが現代の生活ペースだと思うとなんだかあわただしく感じる。昔はこうやってゆっくり舟で運んだんだな、すべてがこんなペースで生活していたのかな、と想像する。

舟で荷物を運ぶことは、担いで歩いて運ぶよりはるかに楽であることを実感できる。なんといっても、あんな小さなカヌーでさえ200キロの荷物も平気で運べるのだから。

下り始めると分流があってどっちに行こうか迷うことがある。
向こうの流れはどんな瀬があるのだろう?どんなに面白く、はたまたすごいものかと想像する。
どちらの流れを選んでも、結局川は合流してこれまでと同じように流れに任せて進んでいく。

人生も川の流れと同じようなものなんだろうか。
一度通りすぎると再び同じ瀬に出会うことはない一期一会のようなもの。川の流れに逆らって進むことが難しいように、人生も過去に戻ってやり直すことはできない。人生の分かれ道でいろいろ迷ったとしても、結局は目には見えない定められた流れに沿って進むのだろうか。
どの道を選んでも、別の道がどんなものかはわからない。今進んでいる道をそのまま受け止めるしかない。人生なんてそんなものかも。悩んでないで気楽に行こう。

川を下ると、そんなことを思わせてくれたりする。

 

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